日大アメフト部が話題だ。
ついにラフプレーを実行した選手まで顔出しで謝罪するまでに至った。
今回は弁護士や関西学院大学側の対処により、問題を明るみにすることができたが、こんな出来事は氷山の一角に過ぎないと思っている。
ぼくらはただ好きなだけでスポーツをしていたわけじゃなかった
わたしは田舎の工業高校を出た。
高校時代の部活は野球部。
公立だったし、特待制度はなかったけれども、とても厳しい部活だった。
毎朝7時からは朝練があったし、帰宅した頃には夜12時頃だった。
監督には理不尽に怒鳴られたり、叩かれることもあった。
何度辞めたいと思ったことだろう。
しかし、それはできなかった。
この高校で野球を続けることがブランドであり、価値があると教員も生徒も採用する会社も親も、
そして自分自身も信じていたからだ。
部活をやめることは、すなわち人生の転落だと思っていた。
いまから勉強したところで進学校の連中に勝てっこない。
すがりつくしかなかった。
こう思っていたのは僕だけではない。
3学年で100人近くなるマンモス部だったけども、辞めずにしがみつく人が多かった。
大学はもっと厳しい
スポーツで大学へ行った人はもっと厳しい。
高校でそれなりの実績があったとしても、人数多い分、いかに監督の優秀な駒になれるかで生き残りが決まる。
野球で例えると、引っ張ったゴロを打つ指示が出ていたのにもかかわらず、逆方向にヒットを打っただけで監督の怒りを買い、その後の出場機会を与えられなかった人もいた。
たったワンプレーのミスで捨てられる。
まるで傭兵のようだ。
件の加害者である選手もそんなプレッシャーを吐露しているように見えた。
彼もまた、アメフトに人生を背負わされていたのかもしれない。
部活信仰への疑問
今となっては、部活にコミットし続けてきた自分自身の歩みに疑問を持っている。
なぜ、あそこまで求められ、それに答えようとしていたのか....
学生たちは顧問やコーチに従順になり、勉学にも一生懸命励み結果を出すことを求められている。
そして会社員
になり、同様に上司や客に従いながら働くのだ。
なんて窮屈な世界なのだろう
もしも子どもができたなら
では、将来的に自分の子どもをどのように導くべきなのだろうか?
自身に置き換えると親の力は無力だと思う。
自分が親に操作されていると思いたくないし、親以上に外部の組織に立ち位置を気にするものだからだ。
だからせめて、無関心でありたいと思う。
あなたが部活をやろうが別のことをしようが、それはあなたの人生だし、あなたの選択だよ。でも好きだよ、と伝えたい。
だからいつでも逃げ出していいし、やめていいんだよ。と
あなたの存在を大切にしているよ。と
これは自分をいたわることにも有効かもしれない。
誰もが誰かの期待に縛られることはないのだ。