おやじを知らないわたし

あなたは父親との思い出はあるだろうか?

わたしの父親は弱い人間だったと思う。

パチンコにはまり、借金をし、酒やタバコに溺れていた。

 

幼児のときに、タバコの吸い殻を誤飲して病院にいった頃があるし、パチンコ屋につれて行かれたときの頭が割れるような騒音が頭がこびりついて離れない。

 

そんな父でも私は好かれようと努力した。あや取りやお手玉が好きだったけれども

「そんな女みたいな遊びはやめろ」

と言われ、父の好きな野球を始めた。

父が身体を鍛える為に走れといったから、小2の私は毎朝河川敷を走った。

”父に認められたい、褒められたい”という気持ちが強かったのだろう。

 

小5になって、近所であるが母の実家に世話になることになった。

別居である。

これは本当の話、小学生の時の父の記憶というのは一切残っていない。

別居に至った経緯すらもう記憶にはないのだ。

 

それ以降私は、父から月一で養育費を受け取る役割を与えられた。

姉がひとりいるが、父に嫌悪感を抱いていたので、家族のなかで唯一話ができるのがわたしだけだったのだ。

 

 

父は私が野球をしていることが楽しみのようだった。

よくグラウンドの外の茂みからわたしのことを見ていた。

他の家の親父はグラウンドの中に堂々と入り皆から挨拶をされていたのだが、うちの父はいつも遠くから眺めているばかりだった。

 

私が野球を続けることが、父にとっても救いになるのだろうと思っていた。

 

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