周囲より勉強してきた高卒技能職の話

朝起きてはてなブックマークを見たら経営者の書いたこの記事がホットでした。

 

「プライベートでは一切勉強したくない」と言っていた社員のこと - 株式会社アクシア

 

要は会社側は従業員のプライベートに介入しない前提だとしても、業務時間外でもエンジニアは勉強をすべきだし、そこについていけない人は(自分の会社では)向いていない。といった論調でした。

 

この会社の業務のレベル感が不明なので詳しいことは言えません。

しかし、記事を書いた方は具体的な内容に触れず、”勉強”という抽象的な言葉を使っていたので、これを自分に落とし込んで色々を考えてみたいと思います。

 

この問題は経営者と従業員、やりがいと報酬、個人と組織といった要素が絡み合っており、一般的にも考えがいのある問題だと思っています。

故に安易にこれが正しいとも言いづらい物事に感じます。

 

私が労働者について思っていること

労働者は労働力という資本を売っています。その働きが会社の求めているレベルを満たし、双方の満足のいくところまで満たされていれば何の問題のない話です。

会社は利潤を求める組織なので、仕事の為に従業員を教育することも多いでしょう。

しかし人間の成長スピードはまちまちですし、成果が出るかどうかは運次第といったところなので、その責任は経営者が背負う形になります。

責任が希薄な分、良くも悪くも従業員の報酬はブレにくく、法律などでいきなりクビにできないように守られているといえます。

 

だから勉強する、しないは正直どうでもいいというか…狭い視点だと稼げるか否かの方が重要視されるものだと思います。「会社は学校じゃねぇんだよ」です。

 

勉強して生まれるのは周囲のギャップ

ここで本題になりますが、私の話です。

話題のエンジニアと比べて次元の低い領域だとは思いますが、高卒で入社して以降、自己学習を続けてきました。

初めは「周りに認められたい。」、「頭いいと思われたい」といった単純な動機でしたが、継続することで徐々に実務で効果が出てきてきました。

周囲に頼られたり、褒められたりすると嬉しかったのですが、次第に

「この人たちより低い給料なのは割に会わないなぁ」

と周囲とのギャップを感じるようになってきたのです。

 

それからは、もっと将来的に必要だと思う事柄について学習するようになり、上司が推奨する資格などは断るようになりました。

 

周囲とのギャップが生じた時点でそのグループに属していることは辛くなると思います。そのときが労働者として会社を卒業するときなのかもしれません。

 私自身、今後は転職も視野に入れております。

残酷な世界の労働者は”勉強”するしかない。

一方で会社側としては従業員の裁量を握っている為、教育を施すことでレベルアップを測ろうとするのですが。定性的に変化しない人にとっては馬の耳に念仏になるでしょうう。

設備投資や外注、あるいは事業縮小のほうが手っ取り早く改善できるのではないかということでリストラが行われる構図が生まれます。

真っ先に憂き目にあうのは我々技能職かつ高齢の従業員です。

まったくなんて”残酷な世界”でしょう。

 

勉強とはなんでしょう?

テストの点数をとること?

資格を取ること?

 

私としては課題を見つけ、解決する能力を磨く作業だと思っています。

学生と違うことは課題が他人から用意されているか否かだと思います。

 

そういう意味では労働者は常に「勉強」が必要なのかもしれません。